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Lachenite obuvki na neznayniya voin 無名兵士のエナメル靴

ブルガリア映画 (1979)

ボリスラフ・ツァンコフ(Borislav Tsankov)が主演するブルガリア映画の古典的名作。バッキンガム宮殿の衛兵交代を撮影していた映画監督が、その音と光景から、少年時代を思い出すという設定。舞台は、第2次世界大戦直前のブルガリアの寒村。主人公モネは7歳。もともと台詞の少ない映画だが、その9割以上が、主人公の立場にたって監督が話すという構成になっていて、モネ自身が話す場面はほとんどない。そして、映画は、一見、例えば、隣国ルーマニアの傑作『Amintiri din copilărie(少年時代の想い出)』のように淡々と少年時代の姿を描くのかと思うと、全く違っている。主人公モネは空想癖のある少年で、物語は、そのモネの空想と現実が交差する形で進行する。どこまでが現実で、どこからが空想なのか、多くの場面は容易に分かるが、映画を何度も観た後でも、未だによく分からない部分もあり、そういう意味では難解な作品だ。どう紹介しようか迷ったが、この映画についての詳しいレビューは見つけることができなかった。ただ、2014年に出版された『Cinema, State Socialism and Society in the Soviet Union and Eastern Europe, 1919-1989』(Sanja Bahun, John Haynes編)のPart II、Ideologies of representationの「4. Mirrors of death: subversive subtexts in Bulgarian cinema, 1964-1979」(Evgenija Garbolevsky著)の中に、時代背景に基づく作品分析が書かれていて、勇気付けられた。この「論文」の冒頭は、「これは、きわめて個人的な内容の映画で、監督は自らの少年時代へと戻り、田舎の生活、様々な人物像、子供の幻想を、フラッシュバックと寸描で描いた風変わりな世界を描いてみせる。映画は内省的なスタイルをとるが、ブルガリアの人々の民俗学的もしくは精神的な伝統や、特定の歴史的出来事によって色づけされた特殊な人物を登場させることで、哲学的な思索に踏み込んでいる」という紹介から始まっている。そして、最後は、「自由な選択の欠如や個人の完全な否定を示すことで、共産主義の象徴的な規定と、伝統的な家長制共同体の規定とを結合させている」とし、映画の制作された時代背景に言及している(伝統的な家長制を批判することで、間接的に、自国の共産主義体制を批判している)。

バッキンガム宮殿の前で衛兵交代のシーンの記録映画を撮影していた監督は、リズミカルな音を聞いているうちに、急にブルガリアの音が記憶に蘇り、心は少年時代の思い出へと入り込んで行く。それまで6分もあり、最初は延々と続く英衛兵のシーンに、違った映画でも観ているのでは、と心配させるほどだ。7歳の少年モネの思い出は、洪水、干上がった湖から獲れた大量の魚、百人が一つ屋根の下で寝る光景、秋の収穫などの記憶の断片から始まり、主題である結婚のお祝いのシーンへと移っていく。少年時代全体の半分強を占めるお祝いのシーンの主役はもちろんモネで、特に、現実と空想を織り交ぜる語り口によって、ブルガリアの農村の慣習描写を通じて、もう1つの隠れた主題でもある「戦争」とも結び付けられる。結婚のお祝いは、精神に異常をきたした祖母の放火により悲惨な結末を迎え、モネと祖父だけが生き残る。失意のうちに死んだ祖父を弔うモネ。その辛い記憶が、監督を再び現在へと呼び戻す。

ボリスラフ・ツァンコフは、キリル文字のスペル(борислав цанков)のロシア語読み。ブルガリアでどう発音するかは不明。映画出演はこれ1作のみ。情報は、それ以上皆無。恐らく、素人の少年であろう。


あらすじ

少年時代のシーンになり、最初に画面に現れるのが、花の香りをかぐ初々しい少年モネ(1枚目の写真)。監督の独白が入る(以下、独白は青字で示す)。「最初に覚えているのは、尽きることのない疑問。なぜ野原は平らなんだろう? なぜ草は青いんだろう? 母は、自分が悪くても、なぜ私を怒るんだろう? それに、スズメは、どうして こんな素敵な罠に入ってくれないのか?」。この時、野原に横たわり、姿を小枝で隠し、口に棒を入れ、その棒にヒモを結んでスズメが口に入るのを待っているモネが映る(2枚目の写真)。「このレッスンの最悪の結果は、ハエは、食べられないと分かったこと」。
  
  

さらに、独白は続く。「記憶の中では、何でもオーバーに膨らんでしまう。ただの池は湖になり、巨大な海となる。ちょっとした雨が、豪雨となり、私の村はベニスのようになった。かなり長い間、学校はお休みとなった。机が全部流されてしまったからだ」。村のメインストリートが水びたしになり、モネがボート(後で、棺にもなる)を漕いでいる姿が映る(1枚目の写真)。しかし、独白の「何でもオーバーに」を真に受けると、この光景が事実なのか、それともモネの空想なのか分からない。しかし、その後に映される子供たちの水遊び(2枚目の写真)は、小さな池での話なので、実際にはこのくらいだったのかもしれない。
  
  

ところが、その後、大きな湖のかなたに村が映っているシーンがあり(1枚目の写真)、「そのあと、海は突然消えた。現れた時のように、なくなったのだ」との独白の後、全く同じアングルで、水の枯れた風景が映し出される(2枚目の写真)。この2枚を見せられると、「ただの池は湖になり、巨大な海となる」は実際にあった話で、モネがボートに乗っていたのも、空想ではなく事実のように思えてくる。ただ、このような疑問は、次の生々しい映像で、どこかに消えてしまう。水のなくなった泥の中に、大量の魚がうごめき、それを獲ろうと村中の人が総出で奮闘している凄まじい光景だ(3枚目の写真)。
  
  
  

この泥の中には大量のヒルもいて、モネが父の脚を見ると、3匹が血を吸っている。父は、まず1匹をはがしてモネに見せる。怖くて箱に尻餅をつくモネ。父は、「怖がるな」と言って、泥の上に投げ捨てる。近寄っていったモネは、持っていた木の棒で滅多打ちにして殺す(1枚目の写真)。魚の捕獲が終り、ロバに牽かせた荷車で家の敷地に運び込んだ魚の山を見て、女たちは、「みんな毒でやられてる。食べられないわ」。「ヒルがいっぱい、ひどいわね」とがっかり。実際、身を開いてみると、中にはヒルが何匹もくねくねしている。画面一杯に映し出されるので、とても気持ち悪い。それを見た祖父は、「こんなもの食えるか。捨てちまえ!」 と宣言する(2枚目の写真)。緑の矢印が家長の祖父、ピンクの矢印が母、黄色の貧相な男が「黒叔父」だ。家長の言うことは絶対なので、「丸一日 かかったのよ!」 と嘆きながらも魚を捨てる。荷車を傾けて捨てるシーンには、ある意味迫力がある(3枚目の写真)。しかし、捨てている場所は、家の門の外の道路だ。「なぜ、通りに捨てたんだろう? 村を抜ける唯一の道なのに」。
  
  
  

魚を捨てているのを、じっと見ているモネ(1枚目の写真)。顔は、魚を獲っている時についた泥で汚れている。誰もいなくなって、魚の山と、犬だけになった通り(2枚目の写真)。「犬は魚が好きではない。しかし、その夜に限っては、こぞって食べた」。
  
  

場面は急に変わる。「私の一族百人は体を寄せ合い、一つ屋根の下で寝た。時々、子供たちは部屋の真ん中に集められた。大人たちが、邪魔されずに話し合うためだ」(1枚目の写真)。さほど大きくない家に、すし詰め状態で寝る人々。半世紀少し前まで、ブルガリアの農村ではこんな暮らし方がされていたとは驚きだ。珍しい国の映画を観る楽しみは、信じられないような風習に出会うこと。私が、この映画の中で一番驚いたシーンだ。この静かな夜は、時として祖母によって破られる。「手に火の点いた棒を持った祖母が、ねぐらに放火しようとしている」(2枚目の写真)。予め待っていた祖父が、「こら、やめんか! 誰が 家を燃やせと言った? とっとと失せろ!」と制止する。「祖母が家に火を点けようとし、祖父が止める。毎週金曜に同じことが起きるので、私たちは慣れてしまった」(3枚目の写真)「怖いが 楽しかった。祖父が、必ず守ってくれるから」。独白は、さらに続く。「この記憶は、『なぜ』 という疑問も呼び覚ます。なぜ、祖母は、家を燃やしてみんなを焼き殺したかったのか?」。
  
  
  

実は、祖母は、精神に異常を来たしている。その理由については、後で、モネの幻想で明らかになるが、ここでは、祖母と祖父のケンカのシーンが挿入される。祖母:「あんたは、軍隊から帰る度に、子供を一人以上作った。なのに、家のことはほったらかし」。祖父は、大鎌を祖母に向けて、「黙れ、くそ婆め」。祖母は、「殺されちまうよ」と叫んで逃げ出す。門を出て、道路に横になり、「あたしゃ、殺されちまったよ」とくり返し、死んだふりをする(1枚目の写真)。毎度のことなのだろうが、モネは、塀に登って、祖母の姿を見ている(2枚目の写真)。祖母の異常を示すもう1つの例が示される。「冬になると、金曜ごとに祖母は野原に出て行った。そして、雪の中から冬の香草を摘み取ると、それを外国の大使館に行って、空きビンと交換した。お金ではなく、ただのビンとだ。そして、村に持ち帰ると古いコインと交換した」。これで、この村が首都ソフィアに近いことが分かる。実際、現実か空想か分からないが、モネが歩いてソフィアに日帰り行をするシーンが最後の方にある。
  
  

収穫の秋。冬の場面の次が秋なので、映画は時系列でなく、記憶を断片的に追っていることが分かる。大人たちが刈り取ってきたワラを中庭で整理している間、モネは、底に穀物が入った木の容器を、揺りかごに見立てて揺らし、「赤ちゃん、眠れ」と歌って遊んでいる。そこに1匹の犬が近付いてきて、中の穀物を食べ始める。追い払われてモネを睨む犬。モネは「ガォー」と唸るって脅す(1枚目の写真)。それを見て吠える犬。唸るモネ、吠える犬。そして画面は真っ暗に。「犬が、私の目を食べたから、真っ暗になった。やった! 私は、包帯が自慢だった。親戚一同は 恐れおののいたが、黒叔父だけは平然としていた。だから、後になって目を潰してやった」。モネは、犬に目を食べられたと嘘をついて、頭を包帯でぐるぐる巻きにした。そんな状態でも、畑で刈り入れをしている大人たちのところに水と食料を運ぶ仕事をしている(2枚目の写真、左側が水の入った容器)。このシーンは現実か空想かよく分からない。犬が何もしなかったことは確かだが、包帯まで巻いたかどうかは分からない。後で、包帯の長さが数10メートルに達することが分かるが、そんな長い包帯が半世紀以上前の寒村にあるとは思えないし、村人の誰も心配している気配がないからだ。観ていて面白かったのは、モネが一列に並んだハンモック状の揺りかごを順に揺らしていくシーン(3枚目の写真)。一族に百人もいれば、赤ちゃんだって一杯いるはずで、こんな風に管理されていたとはユーモラスだ。その後、「もちろん、私の目は、突然 治った。犬の奴が恥じて死んだのは、可哀想だったが」 の言葉で、このエピソードは終わる。
  
  
  

ここからが、映画のほとんどを占める婚礼のお祝い。「今日はお祭りだ。一番若い黒叔父が、結婚する」。白を基調とした豪華な民族衣装をまとった美しく若い花嫁が百名以上の親族とともに、道路をやってくる。そして、待ち受けていた黒叔父と一緒になって、モネの一族の門をくぐる(1枚目の写真、前方に後ろ向きに立っているのがモネ)。一方、相対する家の前には、祖父と祖母が並んでイスに座り、その廻りを一族が取り巻いている(2枚目の写真)。先の「論文」は、結婚する2人について、「美しい『白の叔母ちゃん』と、大嫌いな『黒叔父』」の2人が、子供心には、美と醜悪、気品と下品、洗練と稚拙という対極化したイメージとして固定化されている」と分析している。その後、両方の一族が一緒になって踊る様は、一介の農民同士の婚礼とは思えないほど華やかなものだ(3枚目の写真)。
  
  
  

前半は、お祭り騒ぎの中で、モネのいろいろな行動が紹介される。最初は、ダンス用に管楽器を吹いている男性の前にモネが行き、楽器の先端に触ると、水滴が落ちてくる。モネは、「こんなところから、涙だ」と不思議そう。如何に、この映画に独白が多いかを示す典型例だ。このくらい、本人に言わせても罰は当たらないと思うのだが… 因みに、管楽器から出る水は、肺や中にある水蒸気に唾が混じったもので、あまりきれいではない。モネは他の管楽器にも触ってみる。みんなが一列に手をつないで踊るブルガリア伝統のホロを見ていて、踊り手が宙に浮く想像もしたりする。そして、暑くなったので、地面に置いてあるバケツに顔を突っ込んで水を吹き出しては遊んでいると(1枚目の写真)、母に追い払われる。「母は、私が楽しんでいると、いつも邪魔をした」。モネは母に追いかけられて逃げる。振り向いたところを、頭を押されて地面に仰向けに倒れ、そのまま身動き一つしない(2枚目の写真)。母が、「どうしたんだい?」と訊くと、「死んだのさ。分かるだろ。このまま 死んでいられたら、どんなにいいか」。そして、目を開けて起き上がりながら、「私が大きくなったら、ヒルみたいに潰してやる」。これは、以前、父の脚についたヒルを叩き殺したことから思いついた言葉だろう。「だから、私は その通りに言ってやった」。ここで、ようやく、モネ本人がしゃべる。「僕が大きくなったら、ヒルみたいに潰してやる」(3枚目の写真)。母は、笑いながら「それだけかい?」と訊く。「『それだけかい』 だと? もし、私が死んでいたら、後悔したくせに!」。
  
  
  

一人、山羊小屋に入って行ったモネ。山羊にむかって、「白い叔母さん、すごくきれいなんだぞ」と話しかける。この部分の台詞は、独白ではなく、モネ自身の言葉だ。「お前は、ここにいた方がいい。外に出てくと、殺されちゃうぞ。僕も、さっき母さんに殺されかけたんだ。結婚式じゃ、家畜がたくさん殺されて食べられちゃう。聞いてるか? 毎日結婚式だと楽しいけど、誰がお前を牧草地に連れてくんだ? なら、牧草地で やればいいのに」。このアイディアに興奮したモネは、手で目を覆って(1枚目の写真)、ワラの上に倒れこむ。すると、「牧草地での結婚式」の空想が始まる。全員が、牧草地の上を這いつくばって動いている。木の上に座り込んだモネが手を上げると、「白の叔母ちゃん」だけが立ち上がり、後ろを振り向いてにっこり笑い、モネに手を振ってくれる(2枚目の写真)。
  
  

小屋から、外の様子を覗いていると、祖母がまた何かを盗んでいるのが見えた。この気の触れた老女は、何でも盗んできては、山羊小屋の木箱に隠すのだ。お金、ブランデー、砂糖など手当たり次第。そして、この木箱こそ、祖父が戦争から持ち帰ったものだった。祖母が小屋の中に入ってきたので、モネはワラ山の中に隠れている。そして、祖父と祖母のことを、手で目を覆って空想する(1枚目の写真)。7歳という年齢からして、思い出ではない。あくまで空想だ。軍服姿の祖父が門から入ってくる。まだ若くて老人ではない。祖母も元気に働いている。祖父は働いている祖母を無理やり部屋に連れ込む。しばらくして、召集ラッパが鳴り、祖父が他の出征兵同様歩いて戦地へと出かけて行く。しばらくすると、今度は、偉くなって馬に乗った祖父が帰ってくる。そして、今度は、部屋から白い布に包まれた赤ちゃんを抱いて出てくる。部屋の前に置かれた台の上に赤ちゃんが順番に並べられていく。11人目の赤ちゃんを手渡す祖父(2枚目の写真)。祖母がそれを見て、「神様! こんなにたくさんの子供、誰が面倒を見るんだい!? 神様、夫を罰して下さいよ」と嘆く。次には、祖父が、「22、23…」と言って、馬に乗って出征して行く。22というのは、子供の数なのだろうか? その後は、模擬的な戦闘シーンが映され、これに、祖父との間に出来た大勢の子供たちを荷車2台に乗せた祖母の映像とが重なる。子供は少なくとも20人はいる。さっきの数字が子供の数だということが分かる。祖母は、戦場に向かって一喝すると兵士は逃げ出し、子供たちは歓声を上げる。そして、逃げようとする祖父を、銃を突きつけて荷車のところまで連れて来る(3枚目の写真)。こうしたシーンは、①祖父が戦争にかまけて、家のことを顧みなかった、②子供を山ほど作って祖母を苦しめた、③お陰で祖母は精神に異常をきたした、ことを婉曲に語っている〔これが、祖母の放火癖の原因〕。
  
  
  

祖母が出て行き、モネも小屋の外へ出ることができた。モネが最初にしたことは、パンを焼くため、小麦粉をふるっている母の邪魔をすること。篩(ふるい)を下から叩いて、大量の小麦粉を落としたのだ。母は、「小麦粉を散らしたね、この悪ガキ!」と怒る。これは当然だろう。モネが次にしたことは、パン焼きかまどの前に立って、香ばしい匂いをかぐこと。しかし、今度は、ただ見ていただけなのに、「あっちへお行き。邪魔するんじゃない!」と頭を小突かれる(1枚目の写真)。これは理不尽だ。モネも、「邪魔なんかしてない。カマド見てただけだ」と反論する。そして、母を見ながら、「僕を嫌ってる。僕だって嫌いさ」(2枚目の写真)とはっきり言う。「あっちへお行き、嫌な子だね!」。それでもモネはその場所から動かず、焼き上げられたパンを少しつまんでは食べている(3枚目の写真)。すると、そこに祖母がやってきて、パンを丸ごと1個前掛けに隠して盗んでいった。それを見ていたモネは後を追って行くと、祖母が山羊小屋に入る前に服を引っ張って止め、「おばあちゃん、なぜ盗むの?」と訊く。「あっちへお行き、くそガキめ!」。「泥棒!」と応酬。その直後、モネは、近くで酒を飲んでいた男が、ナイフで踊っていた男の背中を刺すのを見る(空想)。人々は悲鳴を上げて逃げまどい、お祝いが行われていた中庭はカラッポになる(空想)。木に登ったモネは考える。「もし、殺されたのが悪い人なら、黒い鳥になる。殺した男が銃殺されれば、黒い鳥は2羽になる」〔黒い鳥は悪の象徴、白い鳥は善の象徴〕。モネが気づくと、結婚のお祝いは何事もなく行われていた。
  
  
  

ここから、舞台は中庭ではなく、祖父を中心とした室内となる。そこには両方の一族がいて、お互いに友好を深めている。そこに花嫁が入ってきて、一人一人に布を配り、右肩に掛けていく。モネは、勲章のいっぱい付いた祖父の胸に寄りかかっている(1枚目の写真)。モネは 「お祖父ちゃん子」 なのだ。まわりの人々を見ているうちに、モネの空想は広がっていく。今度は、祖父の戦争だ。丘の上に一列に並んでいるのは、村の広場に建っている戦没者記念塔のてっぺんに載っている彫像と同じ形をした兵士だ〔最後から3つ目の節の3枚目の写真参照〕。祖父は、その中央にいて軍を指揮している(2枚目の写真)。モネは目をつむって夢に入り込んでいる(3枚目の写真)。その時、祖父に「モネ、寝てるのか?」と声をかけられ、「ううん、戦争を見てた」と返事する。
  
  
  

その時、親睦の印に、酒が酌み交わされる。モネにも声がかかる。「おい、小さいの! 俺みたいに、強い大人になれよ」。祖父はそれを見ていて、モネに、「少し飲め」と勧める。「いらない」。それを聞いていた若い軍人が、偉そうに、「男だったら、飲んで見せろ」と強く言う。祖父はもう一度、「少し飲め、そしたら歌えるぞ」と勧める。軍人が「乾杯」と言って一気に飲み干す。「ほら、あんな風に飲むんじゃ」。モネは、仕方なく酒を飲む(1枚目の写真)。如何にも嫌そうだ。大人たちに煽られて全部飲み干す。どうしようもなく、不味かったという顔をするモネ。「こいつ、誰に似たのかな?」。「さあな」。久し振りに独白が入る。「笑うがいい、もし私が大人だったら… ちゃんと聞いてろよ」。この独白は、モネ本人が言っているようにも見える内容だ。そして、実際にモネは歌い出すのだが、声は監督の声のままだ。「♪ソフィアの中央刑務所の前で、受刑者の母が涙にくれる」。画面は急に、模式的に作られた収容所の前で、黒衣の母が泣いている光景に変わる(2枚目の写真)。「♪泣きながら語りかける。『出ておいで、わが子ディミトリよ』 と」。モネは目を閉じたまま、歌っているように口を動かしている。しかし、聞こえてくるのは大人の声。ここは、非常に、不自然で、かつ、分かりにくい。モネに歌わせた方がずっと良かったと思う。歌はさらに続く。「♪厚い壁から返事が戻ってくる。『母さん、俺は出られない。意地悪な所長が、出してくれないから』」。そして、「私の嘘の歌で 老人たちを泣かせたことは、残念だが嬉しくもあった」と印象を語る。その後、今度は、モネ自身が、若い軍人に向かって、「あなたが、歌の中の兵士だよ」 と釘を刺すように言う。このシーン、歌の内容も、意味不明なら、歌を聴いた女性たちが涙を流すのも不自然だ。あらすじに入れようかどうか迷ったが、内容ではなく、「独白がモネに替わって歌う」という奇抜なスタイルを紹介する意味で、追加することにした。
  
  
  

宴席の場の最後は、モネが敬愛する「白の叔母ちゃん」が、モネに布を渡すシーン。時間的には逆転するが、モネは花嫁が入って来た時から、嬉しそうな笑顔を見せていた(1枚目の写真)。先ほどの歌が終わると、花嫁がモネの前にやってきて、じっと顔を見つめて少しだけ微笑むと(2枚目の写真)、モネの頬にキスしてくれる(3枚目の写真)。他の誰にもしなかった特別サービスだ。この結婚は、家長同士が決めたもので、花嫁は「黒叔父」が大嫌い。だから、モネの家に来てから、一度たりとも笑顔はなく、常に無表情に近い暗い顔をしていた。そう思って見ると、2枚目の写真は、モネに対してすごく好意的な表情なのだ。このキスで、モネが「白の叔母ちゃん」をますます好きになったことは、もちろんである。それと同時に、「黒叔父」に対する憎しみと軽蔑もより大きくなる。
  
  
  

モネは宴席を抜け出し、「白の叔母ちゃん」と「黒叔父」が、処女の儀式を行う部屋に入り込む。「いつになったら終わるんだろう。私は疲れてしまった」。そして、ベッドに横になる。すると、しばらくして1人になりたいと思った花嫁も部屋に入ってくる。彼女は、モネに気付かないまま重い頭飾りを外すと、窓際に立つ。そして、中庭の踊りを見ながら涙を拭う(1枚目の写真)。目線の先では、唾棄すべき花婿が下品に踊っている。ベッドに寝たまま、モネはその姿をじっと見ている。すると、またドアの開く音がし、黒叔父が入ってくる。モネは慌てて顔を伏せ、寝ているふりをする。黒叔父は、花嫁が、自分を放置して1人で部屋にいることに不満気だ。そして、ベッドにモネがいることに気付くと、上から布を被せる。モネは気付かれないよう、布をめくり、どうなるかを注視している(2枚目の写真)。2人の間には何の会話もない。花嫁は、キスしようとする黒叔父を拒み、床に押し倒す(3枚目の写真)。そして、1人 部屋から出て行ってしまう。処女の儀式の部屋での、このすげない行為は、かなり異常なものなのであろう。叔父が出て行くと、モネは壁に飾ってあった叔父の写真の両目を、えぐり出すように、削り取る。あらすじの8節目の「だから、後になって目を潰してやった」という言葉は、行為を指している。
  
  
  

夜になり、処女の儀式を行う部屋に入って行く新郎と新婦。2人はそこで始めて交わり、新婦が「確かに処女である」という証拠を作る。白い布に、処女を失った時に出た血を付けるのだ。それが終わると、祖母がその布を、参加者一同に見えるように掲げ持ち、その後に新婦、新郎の順に部屋を出る(1枚目の写真、矢印は証拠の血)。3人はそのまま中庭に行き、参加者が次々と手をつなぎ、一列となって踊り始める(2枚目の写真、矢印の反対側に証拠の血)。出血したばかりの新婦にとっては肉体的に辛い風習だ。しかも、新婦は新郎が大嫌いときている。それを見ているモネの目には涙が(3枚目の写真)。いつもは淡々とした独白が、珍しく感傷的なタッチで「白の叔母ちゃん」と言う。かがり火のような大きな焚き火を中心に、深夜まで踊りは続く(4枚目の写真)。いたたまれなくなったモネは、山羊小屋に入って先に寝てしまう。
  
  
  
  

朝になって小屋から出て来たモネは茫然となった(1枚目の写真)。昨夜、みんながいつ寝たのかは分からないが、そのみんなが「一つ屋根の下で」寝ていた建物が、全焼してしまったのだ。焼け跡の前に、祖父が1人立ち尽くしている。「祖母が、とうとう家に放火し、一族全員が灰になってしまった。『白い叔母ちゃん』 も一緒だ」。祖父の近くに寄って行ったモネ。感情を込めた独白が「おじいちゃん、何か言って」と言う。しかし、祖父は何も言わずに門を出て行ってしまう。1人残ったモネ。「大好きな叔母ちゃんが燃えちゃった」。空は急に暗くなり、雨が叩きつけるように降り始める。野原をさ迷うように歩いている祖父はずぶ濡れだ。小屋に避難したモネは、1羽の真っ白な鳩がいることに気付く。モネは優しく撫ぜながら「叔母ちゃん」とつぶやく(3枚目の写真)。
  
  
  

激しい雨の中を祖父が帰ってきた。そのまま、山羊小屋に入って行く。それを見たモネは、「おじいちゃん」と声をかける。しかし、祖父は何も言わないまま横になる。ショックがあまりに大きかったからだ。モネは、そぐそばまで行き、「おじいちゃん、何でもいいから、何か言ってよ」と頼むが(1枚目の写真)、祖父は黙ったままだ。上には、例の真っ白な鳩がいる。モネは、改めて、「叔母ちゃん? あなたなの? どうやって戻ったの?」と声をかける。もちろん、返事はない。ここから、この映画の中で、一番理解できないシーンが始まる。それは、まず廃墟の映像をバックに流れる第三者の歌声から。「♪かくして家は丸焼けとなり、親戚一同 灰になった。モネだけが残された」。ここで、モネが帽子を被り、村の外に向かって1人歩いて行く姿が映る。「♪哀れな孤児」。次には、モネが人ごみをかきわけて、歌う老人の前に出ようとしている。「♪一人でソフィアにやって来た」。そして、店のショーウンドウに置かれた立派な黒いエナメル革の編み上げ靴が映し出される。「♪美しいエナメル革の黒靴を買うために」。そして、モネは実際に靴を買い、それを履いている(2枚目の写真)。首から下げているのは、祖母が空きビンと交換し隠しておいた古いコインだろうか? 奇妙なことに、歌い終えた老人は、道行く人に、「哀れな孤児に起きたことを書いた歌の本」を買ってくれと言い、多くの手が伸びている。これは果たして現実か、モネの空想か? その後、①偉い将軍(それとも、軍服姿の首相?)が夫人とともに車を降りる姿、②アレクサンドル・ネフスキー大聖堂の前にモネが走っていく姿(3枚目の写真)、③大聖堂の前で行われる閲兵式の様子、などが映される。そして、最後にモネはソフィアを出て、村に向かう。「モネはとても幸せだった。エナメル靴で戦争に行けるから。彼は、ソフィアで起きた奇跡を祖父に話すため村に戻った」。
  
  
  

山羊小屋で、別れた時の姿のまま横たわる祖父に向かって、モネがソフィアで見て様々なことを興奮して話す。そして、最大の謎の独白が始まる。「私がソフィアに行っている間に 祖父は死んだ。彼は目を開けたまま横たわっていた」。そして、画面は暗転する。「私は どこにも行かなかった。ソフィアと戦争の歌は、私が祖父のために作り上げたものだ。そうすれば、祖父が何か言ってくれると思ったから」。つまり、1つ前の節のソフィアでのシーンは、モネの空想だったのか? 独白は、内容を変える。「きっと百年は経ったに違いない。祖父はどんどん縮んでしまい… 遂には私と同じ大きさになった。だが、黙ったままだった。私は、祖父を埋葬しなければと悟った」。そして、以前、村がベニスになった時に乗った舟にワラを敷き詰めると、その中に自分で横になってみる(1枚目の写真)。葬儀の時に使えるかどうか確認するためだ。ただ、この写真で、モネの履いている靴に注目して欲しい。それは、1つ前のシーンでモネがソフィアで買って履いていたエナメル革の黒靴なのだ。だから、上で、「モネの空想だったのか?」と疑問符を付けたのだ。モネのような環境に育った少年が、自分用にエナメル革の黒靴など持っているはずがない。それでは、祖父の靴を借りたのか? 写真では紹介しないが、祖父のエナメル革の黒靴と、モネのエナメル革の黒靴が同時に映る一連のシーンがある。靴は2足あるのだ。モネは祖父をボートの棺に寝かせ、顔の周りを花で飾る(2枚目の写真)。そして、神父、牛使い、牛2頭、棺を載せた荷車は、モネと山羊1頭を従えて門から出て行く。「埋葬に行ったのは、私と山羊だけ。村中は結婚式で騒がしかったが、誰も来なくて良かった。祖父の縮んでしまった姿を見られたくなかったから」〔一族百人の葬儀はいつ、どう執り行われたのだろうか? 疑問は尽きないが、解答はない〕。牛車は、村の広場の戦没者記念塔の前を通り過ぎる(3枚目の写真)。塔の上に立っている彫像が、先に述べた兵士像で、戦争に加わった無名の一兵士を代表している。この兵士もエナメル革の黒靴を履いていたはずだ。化石化した戦争の象徴がこの無名の兵士像であり、映画の題名は、そうした監督の戦争に対するイメージから来ているとの指摘もある(Красимир Крумов)。埋葬されたばかりの祖父の墓を花や果物、それに祖父の大切していたエナメル革の黒靴で飾ったモネは、広場の井戸から汲んだ「健康の水」をかけてあげる(4枚目の写真)。
  
  
  
  

埋葬を終えたモネは、野原にある山羊の水呑み場(?)まで行くと、そこで服を脱いで水呑み場の水槽に入る(1枚目の写真)。台の上に、エナメル革の黒靴とパンが見える。この行為の意味はさっぱり分からない。ブルガリアでは死者を埋葬の前に沐浴させる風習はあるそうだが、家族が沐浴する風習があるかどうかは、探したが見つからなかった。モネが水槽に横になっていると、台の上に白い鳩が飛んで来る。それを見て驚いたモネは(2枚目の写真)、また、「叔母ちゃん、あなたなの?」 と問いかけ、「おじいちゃん、死んじゃったんだ。神様に、よろしくって言ってね」。そして、「僕、ソフィアにも、戦争にも行ったのに、死んじゃったんだ」と、先の独白とは逆のことを言う。「2足のエナメル革の黒靴」に次いて、「モネはソフィアに行った」説を裏付ける証拠だ。白い鳩は、飛び立っていき、モネが 「叔母ちゃん、まだ話したいよ! 叔母ちゃん、戻ってきて!」と叫んでも、帰ってはこなかった。
  
  
  

モネは、パンを枕にして、台の上に横になって体を乾かす(1枚目の写真)。タオルなど持っていないからだ。そのうちに眠ってしまい、花嫁衣裳のままの「白の叔母ちゃん」が夢に出てきてモネの額にキスしてくれる(2枚目の写真)。眠っているモネの頬がかすかに緩む(3枚目の写真)。
  
  
  

あたりが急に騒がしくなる。山羊の群れがやって来たのだ。慌てて起き上がるモネ(1枚目の写真)。山羊飼いが歌う。「♪ヴィトシャ山(標高2290m)より高い山はない。イスクル川より深い川はない。ソフィアより大きな街はない。わが村よりいい所はない」。モネは服を着ると、裸足のまま、エナメル革の黒靴をヒモで引っ張りながら村に戻っていく(2枚目の写真、矢印の先に靴)。「それは違う。ここには、叔母も祖父も もういない」。モネは村の広場の戦没者記念塔の前に座り込む。少年時代の画面最後の独白が流れる。「大人になるまで、ここで待ってるよ(Аз ще ги чакам тук, докато остарея. докато остарея)」。誰を待つのか? 叔母か祖父か? そして、死者を待ってどうするのか? これはモネにとって少年期の終わりを意味するものなのか、逆に、少年期の永続性を示すものなのか? 疑問は解消しないまま、映画は「現在」の監督へと引き継がれる。
  
  
  

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